前提としての話
このページは、自己紹介の延長として置いている。
説明や理解を求めるためというより、
ここまで辿り着いた人に向けた、ひとつの前提共有だ。
俺は、性自認についても、精神の構造についても、
一般的に想定されている枠組みの中では生きていない。
身体は女性として生きているが、
自分を語るときの視点や感覚は、必ずしもそこに収まらない。
男性でも女性でもある、という言い方もしないし、
どちらでもない、と言い切るほど単純でもない。
生活の中では、その時その場に応じて、
最も摩擦の少ない振る舞いを選んでいる。そんな認識だ。
また、俺は解離性同一性障害(DID)という診断を受けている。
とはいえ、日常生活は比較的安定しており、
誰かが突然入れ替わって混乱を起こす、というような場面はほとんどない。
複数の視点や感情が並行して存在し、
それらを観測し、整理しながら生きている。
俺にとってはそれが「普通」だった。
この構造は、しばしば生きづらさを生む。
だが同時に、物事を多角的に捉える感覚や、
感情や出来事を素材として扱う距離感も与えてくれた。
写真を撮るとき、
歌をうたうとき、
文章を書くとき。
俺はいつも、
ひとつの視点だけで世界を見ていない。
現実に起きた出来事も、
他人から持ち込まれる感情も、
自分の中でそのまま滞留させることは少ない。
一度分解し、構造として捉え、
別の形に変換する。
それが、俺の表現の根にある。
このページを読んで、
理解できないと感じても構わない。
共感できなくても、興味がなくてもいい。
ただ、ここに書いてあることが、
俺の制作や仕事、距離感の前提になっている、
ということだけ知ってもらえたら十分だ。
合う人とは、自然と話が早い。
合わない人とは、無理に交わらなくていい。
そういう整理を、
最初から静かにつけておきたかった。
2026/2/7 志乃嘉乃